ミャンマー祭り2015

ミャンマー祭り2015終了しました

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ミャンマー祭りを語る
お寺で「ミャンマー祭り」をする理由――実行委員会・僧侶の座談会

お寺が舞台となって、ミャンマー文化を紹介してくれることが意義深い――。これは、「ミャンマー祭り」にご参加いただいている、とあるミャンマー人男性の言葉です。「ミャンマー祭り」は過去2回、都内最大規模の境内を有する増上寺(ぞうじょうじ/浄土宗大本山)というお寺で開催してきました。そして今年11月28日(土曜日)29日(日曜日)に開催される「ミャンマー祭り2015」も、増上寺を舞台に開催されます。現在では、「ミャンマー祭り」のように一つの国や地域を象徴する規模のお祭りのほとんどが、大きな公園で開催されます。「ミャンマー祭りはなぜお寺で開催するの?」「お寺で開かれることにはどんな意味があるの?」。お祭りにご参加くださっている皆様の中には、疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
ここであらためて、お祭りを支える僧侶の想いをまとめて、今年開催の「ミャンマー祭り2015」をより深く楽しんでいただく一助になれば幸いです。

出席者/袖山榮眞(ミャンマー祭り2015実行委員会前副委員長  公益財団法人浄土宗ともいき財団前理事長)、藤木雅雄(ミャンマー祭り2015実行委員会幹事委員 公益財団法人浄土宗ともいき財団事務局長)、進行:西山即信(ミャンマー祭り2015実行委員)

――「ミャンマーという国についてどんなイメージをお持ちですか?」とお尋ねするとその答えの中には必ず「仏教の国」という言葉があります。その仏教の国と日本をつなぐ舞台が増上寺というお寺です。実行委員会にも袖山さん、藤木さんのお二人をはじめ僧侶が参画しています。
お祭り当日にお越し下さる方々にも、お寺で「ミャンマー祭り」を開催していることの意義にもっと着目していただきたい。参画している僧侶の思いを知っていただくことで、お祭りそのものをより一層楽しむ手掛かりが増えれば幸いです。まず、袖山さんがミャンマーに関わることでどんなことをお考えなのか、また、ご自身がミャンマーに関わってこられた経緯などを教えてください。

袖山 お釈迦様の言葉のひとつ、心を清らかにするという「自浄」があります。仏教ではブッダは個人の名前ではなくて、悟りを開いた者という意味です。そして、悟りを開いた者は一人ではなくて、我々の知っているブッダに至るまでに、何人もブッダがおられて、それぞれが「自浄だよ」と、同じことをおっしゃっています。「七仏通戒」と表現されているように、ずっと言い続けていることです。これは日本のお坊さんならどなたもおっしゃることですが、心が清らかになるという体験を、日本にいて体験することはないとは言えないですが、ミャンマーに行くとちょっとしたことでも、あれ?と思うこと、心が洗われる瞬間がたくさんあるのです。そのあたりが実感としてあって、ミャンマーの方々とお付き合いすることは我々には心を清らかにしていくことになるんだと、良く話していました。これは日本人ならそう感じざるを得ない、ミャンマーの魅力の一つですよ。今年は戦後70年の大きな節目の年ですが、インパール作戦だとかいろんなビルマ戦線を経験をした人たちの話を聞くと、その当時からまさにそうだったのだという思いを持ちます。

――戦後70年ということについて。袖山さんは今年80歳になられました。70年前は10歳の少年でした。10歳ですから、物心ついてすぐの少年ですよ。

袖山 私は長野市立後町国民学校(現:長野市立後町小学校)に通っていました。それが、戦争に負けてしばらくしたら公職追放があったのです。公の職についている人たち、先生方が追放になりました。軍事教育をやったからと。みんなそういうものだと思っていたのですが、ずっと後になって、30歳を過ぎた頃でしょうか、長野の公職追放に関する書物が出たので読んでみたら、この出来事はスケープゴートだということが書いてありました。その説明を読みながら自分の記憶の中でも、「あ!これか!」と思ったことがありました。当時は満蒙開拓ということがありました。その頃の学校制度ですが、国民学校6年生の上は高等科でした。高等科2年生くらいで満蒙開拓に志願していくのです。本当は志願とは言えないのでしょうが、長野の駅から出発する彼らを見送る儀式がありました。そうしたら、私のクラス担任の先生が血相を変えてすっ飛んできて、一人の少年に一生懸命話しかけて涙を流されていました。後で聞けば、過去に教えた生徒だったのです。先生たちは口では戦時教育をすれども、涙を流しながら「俺が担任だったらこんなことはさせなかったのに」と泣いていました。全員が一心不乱に戦争に進んだのかと言うと、決してそんなことはないんですよ。私はおふくろと姉の女ばかりの家庭で育ちました。女性は敏感で、「負けるんじゃないのかね」とよく言っていました。男性はそういう場にいると、そういうことを言うと負けるんだと怒るのですが、女性はそんなことははじめから分かっているのです。こうした時代の中でも、当時のビルマは非常に友好的だというイメージが浸透していました。

――袖山さんは長野のお寺のご出身ですが、長野の方々はミャンマーへはあまり出征されていなかったのでは。

袖山 そうですね。お寺の過去帳にはビルマ戦線の記載はないですね。

――その意味では、ご自身とミャンマーとの関係については、直接的に戦争によって生まれたものではないということですよね。

袖山 そうですね。当時の10歳の少年にインパールの情報が入ってくるはずもなかったですし。大人になってから徐々に戦争に関する知識が増えていったのです。戦争が終わってしばらくしてからいろんな情報が出て、知るようになったのです。

――ご自身は何歳で得度なさったのですか?

袖山 終戦の年です。10歳。だから、私も今年、得度70年ですよ。親父が早くに亡くなったのです。おふくろにするとこの子が寺を継ぐということを周囲に伝えないといけないでしょう。だから小学校5年生の3月に得度し、4月1日から戸籍に届けている名前が変りました。それまでは「眞」だったのですが、その上に「榮」がついて「榮眞」になったのです。今の社会で言えばいじめかも知れないですが、当時はそんなことは思わなかったけれど、結構からかわれました。とはいえ皆、丸坊主の頭なので、頭については得度に関係なく平等でしたね。

――そこから学業と寺の両立が始まるのですね。

袖山 今から思うとよくやったなと思いますが、毎朝1キロくらいは離れている師匠の寺に通い、お経の勉強をしてから学校に通いました。そんなものだと思っていたので、辛いと感じたことはなかったです。

――その人生が積み重ねられていくなかで、ミャンマーに出会ったのですね。

袖山 相当大人になってからです。『ビルマの竪琴』や『戦場にかける橋』ですよ。大学生になってからですよね。そこからミャンマーとのご縁にもとづく世界が広がっていったのです。

――私が外国人と話している時、ミャンマーに関わる日本人僧侶のことを話題にすると必ず驚かれることがあります。日本人僧侶がミャンマーで支援や様々なNGO活動をしていることについて説明すると、「それは自分の所属する教団の教えを広めに行ったんですよね」と言われます。「そうではありません」と答えると、大いに驚かれます。

袖山 それがミッション(伝道・宣教)の概念ですよ。ミッションではない行動が驚かれることだということは、ミッションによる行動が一般的なのだという証拠にもなっていますよね。浄土宗もブラジルなどに出ていて浄土教を広めていますが、しかしそこに、他の宗教のように強い圧力をかけ、プッシュしているわけではありません。あくまでも現地の方々が望み、求められることを伝えています。南米はご承知の通り日本からの移民団があり、日本の方々がご苦労されながら生活を育んできたという歴史や、その歴史の中で培ってきた家族観、生命観などの心情の部分で根っこを、仏教という養分によって培っているイメージだと言えます。

――その意味で言えばミャンマーには同じ図式は通じないですね。日本の浄土宗僧侶がミャンマーの僧侶に協力をされている。そこに、日本人側には何の疑問も持っておられない。日本人側は自分を押しつけていないし、そもそも押しつける必要がないというこの面白い関係について。

袖山 浄土宗では、ともいき財団(公益財団法人)の前身「浄土宗報恩明照会」の時代に、ミャンマーの寺子屋支援を始めました。きっかけは昭和20年代だったと思います。その頃、浄土宗の大学生や大学を卒業したての若者が少なくても5人くらいミャンマーの僧院に入りました。そうすると、彼らは青年ですから現地の仏教の在り方に感化され、はじめて外の世界から見た日本仏教にショックを受けました。それが肯定であれ批判であれ、自分たちの浄土教が成立していく根っこの部分にこんなことがあったのだという歴史を身を持って体験することができたのです。これは彼ら青年の個人体験の範疇を超えて、浄土宗に集う僧侶全体にとっても大きな学びでした。もともと、日本の仏教はそうだったんですよ。江戸時代の増上寺は大きな大学でした。いろんな宗派の勉強をしたのです。ところが明治になってからは自分の所属するセクトの勉強に集中するようになって、つい、自分のところが一番良いのだと言って終わる、そういう流れが歴史の中で生まれたことは否定できません。江戸時代の学僧は、自分のセクトを修めるのは当たり前のことです。そこから先に、いろんな宗派のこともしっかりと勉強します。これは「通仏教」といって、これができて僧侶。現代では「通仏教」は口当たりの良いことを言っているんだと言われてしまうこともあります。でもそうではなくて、自分たちの浄土教がどんなものか、成立するためにはどんな教えが重なり合ってきたのかなど、その根本を見る必要があります。この流れを知る重要さを知らないと「他者を理解する」という大事なことが見えにくくなりますよね。私は若い頃から様々な宗派の名の通った僧侶とお話しする機会に恵まれてきました。彼ら高僧たちとお話しすると皆、「通仏教」のセンスを持っておられました。宗派として一本筋が通っていることの評価と「通仏教」の評価は相反するものではないことを証明する例でしょう。

藤木 「報恩(ほうおん)」なんですよ。普段の我々の生活はいろんな方のおかげをこうむっていて、ぜひお返ししたいと思います。自分が生きていることの恩を社会に返すのです。「報恩」のひとことに尽きます。これは慈悲であり、仏心であり、基本だと思うんですよ。「何のために」ではないですよね。「何のために」はミッションで、確かに現代社会ではミッションの方が分かりやすいのですが、私たちはそうじゃないのです。自分が今あることの恩を知れば知るほど、お返しするしかない。仏教者であってもなくても、本当は皆、それでやっているのでしょうけれど、仏教を学ばれていないと慈悲という感覚をつかみ切れていないのかもしれませんね。そこで社会と僧侶の感覚がちょっと違う、ということになるのかもしれません。僧侶の立場で言うと、我々はもっとそのことを社会に説明しないといけません。私たちは誰かに何かを与えて終わりではないです。私たちの行動したものは社会に回っていく。いのちを育んでいく。行動の直接的な要因があったとしたらそれは「今の自分を見たら、感謝せざるを得ない」。そこですよ。それは「縁」です。生かされているということの本質は、「関係性」です。自分が関係性の中で生かされていることを知れば知るほど、このご縁を育んだ様々なものに尽くしたくなる。仏教の根本だと思います。

――藤木さんは昨年、お祭りの会場で象徴的なひとことをおっしゃいました。「お寺にこれだけの人が来ているという事実、この喜び」ということです。

藤木 人というものは面白くて、「お寺に来てよ」とか「お参りしてよ」とか「仏さまに手を合わせてよ」と呼びかけてもこちらの思うようには来てくれません。しかし、お祭りに来たら、今度は頼んでないのに手を合わせておられます。なぜかと言うと、その場でなんとなくであっても、ご自身が育まれてきた関係性に気づき、自然に感謝する心が生まれるから。お参りするという行為は結果なんだと思うのです。感謝はミッションではないのです。

――ミャンマー人と話すと「日本の寺院でこのお祭りがあることが、ミャンマー人にとって有り難い」ということをおっしゃいます。日本文化の歴史を象徴している場所で行われているからこそ、自分たちの国が日本とより深いところで結びついているように感じる。ミャンマー人はそのことに気づいていますよというお話です。こうしたお話しをお聞きすると、さて、日本人もこのお祭りの意義を、同じくらい深いところで気づいているかという問いも生まれますが、彼らの伝統文化や仏教に対する誠実さからすると、我々は学ぶべきことがたくさんあると言えます。増上寺が会場である背景には、こうした深みがあります。

藤木 そういう価値観をミャンマーの方々はやはり持っておられるのですよね。

――ミャンマーと日本の仏教の決定的な違いは、上座部か大乗かですが、ミャンマーの僧侶自身が寺小屋を運営して、厳しい環境に陥った子どもたちをためらわずに引き取って育て上げていく、あのような行為は大乗の特徴でもある慈悲なのかと、日本人僧侶なら一度は考えます。

藤木 そこが上座部と大乗の違いでもありますね。支援をすると「功徳を積んだ」と言われますね。利益(りやく/仏の働き)は一致しますが、大乗の側では結果としてご利益は付いてくるから、ご利益を目的として強く求める必要はないのです。だから、行動の前に「~のために」を言う必要がないのです。なぜ明確な結果を求めずに行動しても問題がないのかというと、これは「縁」です。回っているから。良い縁が循環してくる。すべての考えも行動も「縁」にたどり着きます。みんな循環しているのです。我々は「縁を生かす」ことに注力すれば良いだけなのです。

袖山 縁は行動によって回ります。「ここに縁というものがあるんですよ」と眺めているのではありません。

――何かの縁にかかわっている人が、何か行動をすれば、その縁が回り始める。

袖山 そうです。「三輪清浄」という言葉があります。施す人、受け取る人、そしてその間で施されているモノ。この3つがそれぞれ清らかであることが大事です。人もモノも清らか。智慧と慈悲を見ていく時に、智慧は固定されたモノであるかのような感じになりやすいのですが、固定されると智慧にはなりません。動き始めるとそれが慈悲になって他者を巻き込んで働く。そしてそのこと自体が智慧である。そういった関係をそのまま展開をしていくのが生きた仏教ですよ。

――ミャンマーというキーワードで集う人々の密な関係について。ミャンマー祭りは今年で3回目です。ということは、はじめて開催された時には、すでに、従来の「家」の概念ではなく「個」で生きている人たちが多く参加されたと見るべきだと思います。寺院で言えば檀家に象徴される「家」の概念に慣れていますでしょう。ところがミャンマー祭りに参加なさったの方々の多くはいわゆる檀家ではなく、「個」です。人々との関わり方が従来のお寺とは全く違う。社会に散らばった「個」が寺院に集まる。これは、寺の立場から見ると新しい関係性の構築が始まったと言えます。増上寺でミャンマー祭りがおこなわれているということは、「個」と仏教に関連する人やモノが出会っていく面白い例であり、現代ならではのダイナミックな動きが始まった例なので、宗派を問わずに仏教者はもちろんのこと、社会学の観点からももっと注目してほしいと思います。

袖山 去年から祈念法要がプログラムに入りました。

藤木 人間は祈る時、一体になれます。祈る時に、悪いことを祈る人はいません。祈っていると心が一つになります。

――宗教者からいうと、あの祈りにはもっとフォーカスしてほしいと思います。厳密に言うと、祈る、祈らないということもありますが、人間とは祈らざるを得ない生き物なのだという事実に覚醒するべきでしょう。

袖山 一方で、押しつけたくない。このバランスを取るべきです。

藤木 私は自分のことで言えば、そこをもっと説明したいと思っています。大正大学が提唱している「BSR」がこの問題を適切にとらえています。仏教者の社会的責任(Buddhist Social Responsibility) の略称で、仏教や僧侶が持つ影響力などをきちんと説明する責任があるという捉え方です。「祈りましょう」と語りかけるのは良いですが、その祈りってどんな意味があるのですかと、その説明をするために自分の心を砕き尽くしたかと聞かれれば、そうではないのですよね。祈りと苦しみの中にこそ、人と人をつなぐ要素があって、それが日本とミャンマーで言えば、長い歴史を共有し、友情を育てる要素にもなった。世界中の宗教者が祈りましょうと呼びかける、その意味をもっともっと考える必要がありますね。

――「ミャンマー祭り」はいろんな方が集い、協力し合って運営されています。何かの概念を押しつけるようなことはありません。その意味では、お寺でやっているからと言って、仏教への理解をことさらに強く求めるようなことはありません。ですが、こうした思いを持つ僧侶がお祭りの土台を支えているから、増上寺という場所で開催できています。だからこそ「ミャンマー祭り」は、特別なお祭りなのだと思うのです。藤木さんはまた去年、こんなこともおっしゃっていました。「誰も帰らない」。

藤木 そうですよ。来られた方はゆっくり時間をかけて、お祭りの空間の中にいることを堪能されていた。傍で見ている私にも伝わってくるんです。ポカポカしていました。良い温泉にいるみたいに暖かい空気がありました。これが「縁」なんです。選んだのではなくて選ばされていた。そういう側面を感じましたね。

袖山 今年もぜひ、そういうご縁が育まれるお祭りでありたいものです。

Fin.

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助成

主催

  • ミャンマー祭り実行委員会

共催

  • 駐日ミャンマー大使館
  • 公益財団法人 浄土宗ともいき財団
  • NPO法人 メコン総合研究所

後援

  • 外務省
  • 港区
  • 日本商工会議所
  • 株式会社JMAホールディングス
  • 一般社団法人コンピューターソフトウェア協会
  • 一般社団法人情報サービス産業協会(JISA)
  • 一般社団法人日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)

協力

  • 東京プリンスホテル
  • ミャンマーインフォメーションインダストリー株式会社
  • ミャンマージャポン

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(公益財団法人 浄土宗ともいき財団内 )

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